公営競技には
目の前のレースを的確に伝え
そしてファンの心を鷲掴みにする
実況があります。
ボートレース児島では
椛島健一さんが
実況をされています。
椛島アナといえば
「来てますかー来てますよー」
「内ズボッドおおおおおおお」
「スタートしましたぁー
ヴァーーーーっと早ぃーー」
「以上児島第1レースでした。」など
選手がモノマネするぐらい
特徴的な実況で有名です。
今回は椛島アナをご紹介します!
タップできる【目次】
椛島健一アナウンサー
大学を卒業後
約半年間サラリーマンを
していたのですが
ボートレースが大好きで
実況アナウンサーになりたくて転身。
2002年4月に実況デビューしました。
ちなみに
沖縄の宮古島が好きだそうですよ。
実況を始めたきっかけ
小さい頃からボートレースが
大好きでボートレースに関する
仕事が出来れば良いなと
思っていたそうです。
大学時代にレース場での
実況を聞いて
こんな道もあるんだと思ったそうです。
椛島アナの想い。
実況デビュー当初は
淡々と実況をしていたそうです。
お客さんに楽しんでもらえるには
どうしたらいいのか?と考え
今のスタイルに変化していったのです。
椛島アナ特徴のあるワード
おもしろワードを出せばキリがないので
2つだけご紹介します!
「スタートしましたぁーヴァーーーーっと」
これはフライング艇があったときに
このような表現が多いです。
かなり悔しそうな
表現をしているのですが
椛島アナは
フライングをすれば返還があるので
場内のお客様に舟券を捨てないでという
メッセージも含まれているのだそう。
後、自分自身もフライング艇が出て
非常に残念に思う事から
「ヴァーーーーっと」と
なってしまうそうです。
次に全ての艇がゴールした後
「以上児島第〇レースでした」
とそれまでの熱い実況とは
180℃変わって可愛らしくも
感じる声にかわるギャップがあります。
これに関しても椛島アナはこう語っています。
レースが終わると確定放送があり
テンションが高いまま確定放送を
すると間違う可能性が高いので
いったん落ち着かすために
あのような感じになると
語っています。
椛島アナが一生忘れられないレース
椛島アナが一生忘れらないと言った
レースをご紹介します。
椛島アナは面白い実況だけでなく
ファンの心を打つ実況でも有名です。
児島でのその年の最終レースでは
その年に起こった
時事ネタや感謝を実況に盛り込むことが
恒例でもあります。
そんな椛島アナが
一生忘れらないというレースが
2017年10月3日
【ルーキーシリーズ第8戦 第28回瀬戸の若鷹決定戦】
この優勝戦の1号艇には
地元期待の村岡賢人選手が乗艇。
当時8年目の期待のホープであった
村岡選手の初優勝に注目が集まった一戦。
この優勝戦までの村岡賢人選手
地元若手として早くから
頭角を現してきた
地元岡山支部の期待のホープ。
着々と力をつけ
結婚もし順風満帆だったのです。
デビューから4年
結婚していた村岡選手に
待望の第一子が誕生しようと
していたのです。
ですが村岡選手の妻は
第一子を出産と同時に
亡くなってしまったのです。
そんな悲劇に見舞われても
ひたむきにレースの出場する姿を
実況席から見守っていたのが
椛島アナです。
第28回瀬戸の若鷹決定戦 優勝戦 実況
村岡選手はこの日までに
優勝はないものの
優出24回とコツコツと実績を
積み上げてきました。
予選、準優勝選をトップで通過し
25回目の優勝戦は
地元1号艇で出走です。
優勝戦の進入は枠なり
若干3号艇がスタート後手を踏むも
4号艇のまくりを
ブロックしながら先マイ。
内から2号艇と5号艇に
差しを許すも
バックストレッチで伸びて
2マークを先取り先頭に立った。
丁寧に周回を重ね
残り1周で優勝となった所で
椛島アナの村岡選手に対する
想いの詰まった実況が
流れてきました。
児島でデビューしておよそ8年
フライングもありました。
ポカもありました。
しかしスタート速攻会心の
レースもありました。
どんな状況であっても
常に前を向いて走り続ける村岡に
ついに最高の瞬間が訪れます。
そして上空でキラキラと輝く
星になったあの人へ捧げる
最高のプレゼント。
それは地元児島でのデビュー初優勝。
先頭1号艇村岡賢人。
これが椛島アナの
一生忘れられないレースです。
最後に
実況席ではファンからは
見えないが全身を使って
実況をしています。
ファン目線や選手目線の
実況が我々ファンの胸を
熱くさせてくれます。
実況がよりそのレースや
選手の人となりを表現してくれます。
これからもボートレース児島の実況として
もっともっと盛り上げて欲しいです。