長いボートレースの
歴史の中で記録、記憶に残る
選手がいます。
加藤俊二選手、野中和夫選手
植木道彦選手、松井繁選手など。
常に艇界のトップにあり続けた選手達。
ファンを魅了する走りと
夢と希望を与えてくれる選手。
今回は今村豊選手について
どんな選手なのか
ご紹介します。
ボートレース好きでも
そうでないかたも
今村選手の名前を一度は
聞いたことがあると思います。
その今村豊選手の凄さをご紹介します。
タップできる【目次】
今村豊選手プロフィール
出身地 | 山口県 |
所属支部 | 山口支部 |
生年月日 | 1961年6月22日 |
血液型 | A型 |
身長 | 163㎝ |
体重 | 50㎏ |
級別 | A1 |
登録期 | 48期 |
選手登録番号 | 2992 |
弟子には
棚瀬興志選手
白井英治選手
などがいます。
座右の銘は
実ほど頭を垂れる稲穂かな
選手養成所時代
今村選手は
「地元の工業高校から
進路をどう進むか
決め切れずにいて
ボートレースの
優勝劣敗の世界に
魅力を感じて試験を受けた」
と語っています。
「まったく素の状態」で
試験に一発合格し
当時の訓練所本栖へ入学しました。
当時はターンするのに
現在主流となっている
モンキーターンではなく
座ってターンしていました。
ターンマークでは
スロットルレバーを落として
減速しターンマークを外さずに
ターンするのが主流でした。
そんな中、訓練生の今村選手に
教官は
「恐ろしくなかったら、レバーを握っていい」
と言われ
それを実行し転覆を繰り返したことから
本栖のドボンキング(転覆王)と
言われるくらい全速ターンの練習をしていたそうです。
なので本栖ではひと際
目立っていたそうです。
当時を振り返り
今村選手はこう語っています。
「今だから言えるのですが
レース形態で競争すると
ほぼほぼ1着なんです。
あんまり先頭ばかり
走っても練習にならないから
わざと3番手ぐらいに下がって
引き波の対処や
抜きの練習もしました。」
訓練生同士では
レースにならないぐらい
力量差がはっきりしていたと思います。
ただこうも語っています。
「数十回は転覆してると思います。
当時、転覆や落水を表す
棒グラフがあったのですが
自分だけ物凄くて
人の2倍以上はありました。
レバーを緩めず
全速ターンが出来るはずって
思ってましたから。
冒険心とかではなく
やってれば当然できるだろって感じでした。」
訓練生時代から次元が違う事が分かりますよね。
選手時代
1981年5月にデビュー!
初戦で1着で
水神祭を飾るのです。
そのままデビュー節に
優勝戦まで駒を進めます。
デビュー期に
6.20と現在のA1級の
成績を残すことになる。
当時はA~C級という
級別でしたので
C級からA級へ
ジャンプアップしたそうです。
ちなみに当時のボートレースは
内側有利でコースの奪い合いが主流。
新人選手は6コース進入が
暗黙のルールとされている中で
この成績はとんでもないのです。
それをすべて全速ターンで
相手を蹴散らしてきたのです。
現在との比較はしにくいのですが
新人選手が半年間6コースから発進のみで
6.20の成績を残すのは
非常に厳しいことは
お分かりいただけると思います。
今村選手が当時の
競艇界の常識を覆したのは事実です。
これだけでもとんでもない選手で
ある事はお分かり頂けると思います。
わずか1年でG1タイトル獲得とSGデビュー
デビューから1年後の
1982年4月に蒲郡で初優勝。
同年5月にSG初出場を果たします。
なんとデビューから1年1ヶ月という
異例の早さでの
出場となりました。
その年の4つあった
全てのSG出場しました。
丸亀競艇のG1京極賞で
初優勝を果たしており
G1ウイナーの仲間入り。
この年はそれを含めた
G1を2勝しています!
デビューから2年を待たずして
トップレーサーの仲間入りを果たすのです。
わずか3年で当時のSG最年少優勝
そしてデビューからわずか3年22歳で
当時最年少(その後服部幸男選手が21歳で更新)
SGウイナーとなります。
SG制覇一覧
SG全日本選手権競艇(現ボートレースダービー)
3回制覇
1987年、平和島競艇
1988年、多摩川競艇
1990年、戸田競艇
モーターボート記念(現ボートレースメモリアル)
1992年浜名湖競艇
総理大臣杯(現ボートレースクラシック)
2004年には福岡競艇
モーターボート記念(現ボートレースメモリアル)
2010年には丸亀競艇
SG7回の優勝をしています。
ちなみに
G1レースは合計48回の優勝と
とてつもない優勝回数なのです。
病との闘い
それだけすごい成績を
残してきた今村選手ですが
実は現在も病と闘っています。
病名はメニエール病です。
今村選手は
インタビュー記事に
こう答えています。
最初は30代半ばでした。
ボートレース場でめまいが起きたんです。
景色が左右に流れて見える。
天地がわからなくなり
もう立っていられない。
見た人によるとめまいに
襲われている最中は
目玉がぴくぴく痙攣して
揺れていたそうです。
めまい止めの点滴をうっても
一時的には治るが
完治したわけではなく
原因不明。
レースは出来るが
バランスがおかしい。
左耳だけジージージーと
耳鳴りがしほぼ聞こえない。
酷い時は
途中帰郷したこともあります。
ストレスからくる
原因不明の病の為
対処療法で病と上手く
付き合うしかないと
思ったそうです。
奥様の支えもあり
現在はめまいの発作は
起きていないようです。
最後に
今村選手の凄さがわかって
頂けたかと思います。
私自身もこの記事を
書きながら改めて
今村選手の凄さを感じています。
そんな今村選手は
2020年4月21日より
津競艇場で行われる
PG1マスターズチャンピオンに出場予定です。
松井繁選手、吉川元浩選手
徳増秀樹選手など
現在でもSG常連組が出場します。
先日ご紹介した
今村選手も当然優勝候補の一角となることでしょう。
どのような結末になるのか
非常に楽しみです。