メッカ住之江の実況といえば
市岡アナが長く担当しています。
冷静沈着で高額配当が出たり
集団フライングが出ても
トーンが変わりません。
その一方で
奇数艇トリオや
偶数艇トリオなど
市岡アナのオリジナルな
表現もあります。
今回は市岡アナについて
調べてみたので
皆さんと共有していければと思います。
タップできる【目次】
アナウンサーになるまで
大阪府出身で
1968年7月生まれの52歳。
小学校時代から
ガキ大将だったそうで
みんなをまとめる
中心的な存在でした。
自身も「目立ちたがり屋で仕切り屋」と
語っています。
勉強も得意で特に英語が得意だったそうで
大学からの推薦まで来てたそうです。
ですが大学受験に失敗し
就職の道を選んだそうです。
すぐにアナウンサーの仕事ではなく
職を転々としていました。
レンタカー会社で働いている時に
新聞を読んでいたら
アナウンサー学校の
募集を見つけました。
強くアナウンサーになりたい気持ちはなく
女性との出会いも求めて半分半分で
アナウンサー学校に入学。
レンタカー会社で働きながら
アナウンサー学校に通い
周りの人間が学校から
辞めていく中
市岡アナも辞める予定だったそうです。
レンタカー会社の社員として働こうと
考えていた時に
蜂屋薫アナウンサーに
住之江ボートの実況を募集していると
声を掛けられた事がきっかけだそうです。
アナウンサーデビュー
住之江ボートで
1991年4月にデビューを
果たしました。
ボートレースのアナウンサーとして
デビューしたわけですが
実はボートレースを
全く知らなかったそうで
1号艇は白色から勉強していきました。
そんな状況の中
デビュー2ヶ月後には
SG第1回グランドチャンピオン決定戦の
実況を行いました。
自身も
「凄い無茶苦茶な実況だった。
けれども優勝戦で
西田靖選手が1周2マークで
ツケマイを放ち優勝したのですが
その時に言い回しが中々思うように
出来ない中でもツケマイという
表現が出来たことが収穫で
今に繋がっていると」
振り返っていました。
アナウンサーとして心掛けている事
レーサーの無事故が第一で
レースの合間には
水分を取ったり
アメを舐めたりして
喉のケアを行っているそうです。
睡眠不足になると
実況でかむので
睡眠不足にも気をつけているそうです。
地元選手の活躍が励み
大阪の選手の活躍が
最大の励みになるそうです。
2001年の賞金王決定戦(現グランプリ)で
田中信一郎選手が
SG初制覇を成し遂げた時は
涙が出るほど嬉しかったそうです。
表彰式の前に
アナウンスルームの前を通った時には
一緒に満面の笑みで写真を撮ったそうです。
実況をしていて感動した事
ファンから
市岡アナの実況好きですといわれたり
実況した内容が
そのまま新聞記事に引用される事が
感動するそうです。
実況をしていて印象に残るレース
数々のSGグランプリを
実況してきた市岡アナの印象に残るレースは
ファンの間でも
ナンバーワンレースと言われている
第十回SG賞金王決定戦(現グランプリ)
だそうです。
植木道彦選手と
中道善博選手の
壮絶なるレースでした。
このレースはターン毎に
植木選手と
中道選手の着順が
入れ替る素晴らしいレースでした。
結果植木選手が優勝するのですが
市岡アナもこのレースを選んだのは
実況中に
「艇史に残る名勝負」という
フレーズを自然と盛り込めた所が
一番印象に残っているそうです。
最後に
今回は住之江実況の
市岡アナについて
調べてみました。
ちなみに市岡アナは
フライングを気付くのが
非常に早く
ファンの間でも有名です。
奇数艇トリオや偶数艇トリオなどといった
独自のフレーズや
選手の住之江優勝歴や優出回数など
事細かく調べて
実況に盛り込みます。
住之江ボートの
市岡アナの冷静沈着な実況にも
注目してみて下さい。