上瀧和則選手は長年佐賀のエースとして
佐賀支部を牽引してきた選手です。
イン屋として名を馳せ
賞金王決定戦の優勝戦まで
コマを進めた選手です。
近年は選手会長として
レーサーではなく
裏方に回っていたのですが
今回下関ボートで
復帰を果たしました。
今回は上瀧和則選手について
調べましたので皆さんと
共有したいと思います。
タップできる【目次】
プロフィール
氏名 | 上瀧 和則 (じょうたき かずのり) |
支部 | 佐賀 |
登録期 | 60期 |
登録番号 | 3307 |
身長 | 165㎝ |
体重 | 52㎏ |
主な同期選手 | 烏野賢太選手、濱村芳宏選手など |
弟子 | 深川真二選手、古賀繁輝選手 |
1987年5月にデビューし
6月に初勝利をあげます。
デビューから1年で
A級に昇格します。
そして1989年には
年間最優秀新人に選出されました。
イン屋で有名で
コース取りに妥協がなく
非情なまでのコース取りから
つけられた愛称が
「非情のワイルドボーイ」
自身も理想の勝ち方は
「外枠から前付けして
80まで(スタートまでの距離)
流れ込んでもインから逃げる事」と
語っています。
2011年3月17日に
日本モーターボート選手会の
副会長に就任した為
4月以降のレースは全て辞退しています。
2012年6月26日に
日本モーターボート選手会の
会長に就任しています。
SGタイトル
1996年10月10日
福岡ボート
第43回全日本選手権
(現ボートレースダービー)
1998年6月28日
宮島ボート
第8回グランドチャンピオン決定戦
(現グランドチャンピオン)
2004年5月30日
尼崎ボート
第31回笹川賞
(現ボートレースオールスター)
2005年11月27日
芦屋ボート
第8回競艇王チャレンジカップ
(現チャレンジカップ)
SG4回制覇していて
G1も新鋭王座決定戦をはじめ
17回優勝しています。
幻の賞金王
2004年12月23日
住之江ボートで行われた
賞金王決定戦です。
(現グランプリ)
1号艇 植木道彦選手
2号艇 今垣光太郎選手
3号艇 上瀧和則選手
4号艇 浜野谷憲吾選手
5号艇 松井繁選手
6号艇 田中信一郎選手
スタート展示から
駆け引きがあり
松井繁選手と田中信一郎選手が
スローに合流。
本番はスタート展示と違って
植木、今垣、松井/上瀧、浜野谷、田中
となりました。
上瀧選手がカドからトップスタートを放ち
内3艇をまくりきりました。
先頭で航走も
1周2マークで田中選手が
詰め寄ってきます。
2周1マークでは上瀧選手が先マイも
ターンマークを若干外します。
そこへ接近していた田中選手の鋭差しが入り
バック並走となります。
2周2マークで田中選手が先マイし
上瀧選手も渾身の差しで迫るも
決着がついてしまいます。
現地で見てましたが
上瀧選手の悔しそうな
背中が印象的でした。
4年4か月ぶりに復帰
前回の2014年の8月14日に
唐津ボートで行われた
お盆特選競争に出走し
約3年5か月ぶりに
レースに復帰しました。
その時は準優勝戦まで進出し
4着という結果です。
これだけでも当時話題になりました。
今回はそれを上回る
約4年4か月ぶりに
5月11日下関ボートで行われた
日本財団会長杯準優進バトル
2Rに3号艇で出走しました。
ピット離れから2号艇を抑え込み
インまで奪おうとする
スタイルは昔のままでした。
2コース発進で
0.19のスタートも
インの田中選手が遅れ
絶好のまくり展開でした。
上瀧選手がまくりを仕掛けていくも
風の影響かターンマークに激突し
落水失格という形の
復帰戦となりました。
最後に
今回は上瀧選手について
調べて書いてみました。
初日こそ失格となりましたが
まだまだレースはあります。
しかも次の斡旋も決まっています。
次節は6月1日から丸亀ボートで
出走予定となっています。
それに
2020年5月13日には唐津ボートで
息子である上瀧 絢也選手が
126期でデビューします。
126期の記事についても書いているので
読まれていない方は
読んでみてください。
今後、会長職でありながら
レースに参加するのか?
上瀧和則選手に注目です。