ボートレーサーには
イン屋とは反対に
アウト屋という
レーサーもいます。
アウト屋は
6コース専門の選手で
例え一番有利な
1号艇であっても
6コースから勝負をします。
現役選手では
阿波勝哉選手
澤大介選手
小川晃司選手
などがいます。
今回はその6コース1本で
レースをしている
阿波勝哉選手を
ご紹介したいと思います。
タップできる【目次】
阿波勝哉選手プロフィール
選手登録番号 | 3857 |
出身地 | 東京 |
支部 | 東京支部 |
登録期 | 79期 |
生年月日 | 1973年4月18日 |
身長 | 165㎝ |
体重 | 56㎏ |
血液型 | AB型 |
級別 | B1級 |
師匠は本吉正樹選手
弟子には藤原菜希選手
1998年に多摩川競艇でデビュー。
2002年蒲郡競艇で初優勝。
2005年には多摩川競艇で開催された
笹川賞競艇でSG初出場を果たしました。
プロペラ基準変更
ボートレースでは2012年4月までは
プロペラを選手個人で用意する。
持ちペラ制だったのです。
阿波勝哉選手のプロペラは
6コース専門という事で
出足を無視した
超伸び型仕様にしていたので
他の選手とはペラの形が
大きく異なります。
そしてエンジンのセッティングに
関しても一味違います。
各ボートレース場には
チルト角度というものがあります。
チルト角度は簡単に言うと
ボートに取り付ける
モーターの角度です。
スタート展示の時などに発表されたり
直前情報などに出てきます。
ちなみにチルト角度は
マイナスになれば
出足、回り足重視。
プラスにすればするほど
伸び型になります。
これはボートと水の接着面積が
減少するからでもあります。
阿波勝哉選手は
もちろんそのレース場のMAXまで
チルトを跳ねます。
その2つがあり
強烈な伸びを手に入れていました。
ですがそれも
2005年のプロペラ基準改正で
失われる事になりました。
当時阿波勝哉はインタビューでこう語っています。
「どうにもならなかったですね。
もう全く伸びないんですよ。
伸びだけがどうしても来ない。
もうダメなのかなって思いましたもんね。
本当に。
伸びて捲っていってという
スタイルをかえないと
いけないのかなと思いました。」
しかし2年後に試行錯誤の上
再度A1に返り咲きます。
持ちペラ制度の廃止
しかし2012年4月以降は
レース場での備え付けのプロペラを
使用しなければならなくなり
アウト屋を諦め
スロー進入もする選手もいる中
阿波勝哉選手はスタイルを曲げず
6コース1本で頑張り続けています。
ですが影響は大きくB1級まで成績を
落とす事になりました。
スタート事故
6コース1本で戦うとなると
質の良い早いスタートが必須となります。
スタートで遅れると
ただでさえ勝率の低い6コースからでは
勝てる見込みは
ゼロに近いのです。
そのためスタート勝負を仕掛ける為
フライングという代償もついて回りました。
1999年、2003年、2012年には
級別審査期間内に
フライング3本を
切ってしまった事もあります。
読んでない方は是非ご覧下さい。
最初のF3になった1999年には
半年間無収入になり
住宅ローンの支払いなどもあり
5ヶ月の間
建築現場や建設現場の
アルバイトとして各地の
工事現場で働いたそうです。
人気の高さ
阿波勝哉選手の人気の理由は
なんと言っても絞り捲りです。
伸びだけに
特化した舟足に仕上げ
スタート後
内5艇を絞っていき
捲り切るのです。
決まればとにかく爽快です。
阿波勝哉選手以前にも
アウト屋で6コース専門の
選手もいたのですが
ここまで捲りにこだわった
選手はいてません。
阿波勝哉選手はアウト屋としても
とにかく捲りにこだわりがあり
伸びに関して追求していました。
そんな阿波勝哉選手は
ファンからの間でも人気で
SG笹川賞競艇(現ボートレースのオールスター)に
3度も出場しています。
笹川賞競艇(現ボートレースのオールスター)は
ファン投票によって
出場選手が決定されます。
権利があるのは
A1級の選出のみで
ファンのからの人気があって
投票がなければ出場出来ないのです。
2005年に初出場を果たすも
翌年2006年は選出権利のない
B1級へ下がったにもかかわらず
阿波勝哉選手の名前がないなどの
問い合わせや苦情があったほどです。
最後に
阿波勝哉選手は
2007年に6コースから
前人未踏の9連勝という
離れ業をやってのけています。
この記録は2020年4月現在も
破られていませんし
恐らくこの先も破られることはないでしょう。
そんな阿波勝哉選手の
活躍も期待していますし
応援したいと思います。
皆さんもお近くの競艇場に
阿波勝哉選手が出場している場合は
ぜひ本場での観戦をおススメします。