今村豊が引退しました。
今回は今村豊の引退会見について記事にしました。
今村選手と言えば知らない方は
いないと思いますが改めて
偉大な選手であったこともご紹介していきます。
以前今村豊の凄さについて記事にしているので
ご覧になっていない方は
こちらからお読みください。
タップできる【目次】
引退理由
2020年11月より男子体重制限が
51キロから52キロに引き上げられます。
今村豊は50キロから51キロに
体重制限が上がった際にも
体調管理の面から苦労していました。
体重が52キロに引き上げられることにより
引退を決意したという。
引退会見では
増量する苦しみは
減量よりきつく
食べたくなくても
増量のためには
食べないといけないのが苦痛
と語っています。
引退時期については8月に
ボートレース下関で行われた
SGボートレースメモリアルで
最後にしようと考えていたが
9月23日にボートレース徳山で開催された
G1ダイヤモンドカップの斡旋が入り
そこで引退する事を決めた。
デビューを徳山で行い、
引退も徳山で
記念レースという大きな舞台で
選手生活を終えることが
できたのはとても幸せだった
と語っています。
今村豊へのメッセージ
瓜生正義
今村さんの選手としての考え方だったり
姿勢をお手本にさせて頂いていました。
本当にありがとうございました。
第二の今村豊人生を楽しんでください。
寺田祥
僕と走った20数年間本当にありがとうございました。
今までいろんなことを
助けていただきましたが
自分自身
今から助けてもらいたいことも
たくさんあったのですけど
それも今村さんの引退で
叶わぬこととなりました。
これからはプライベートで
ゴルフを一緒に楽しみたいと思いますので
ゴルフのご指導よろしくお願いします。
白井英治
師匠!
僕をここまで育ててくれて
本当にありがとうございました。
本当に寂しいし悲しいですけど
これからは今村さんが唯一成し得なかった
賞金王になることを最高の恩返しと思って
日々精進していきたいと思います。
師匠愛してます。
松井繁
突然のことで正直驚きました。
今村さんには選手を辞めて
何をするんですか?
やっていたほうが楽しいし頑張りましょう。
と言い続けていたのですが…
レースも綺麗で誰からも愛される人。
一番見本になる選手でした。
自分の判断で辞める。
それは凄いことだと思います。
お疲れ様でした。
選手として貫き通したもの
今村選手には1つのポリシーがあります。
それは他の選手に艇をぶつけないこと。
引退会見でも貫き通した事は
人にぶつかっていかないという
レーススタイルを最後まで崩したつもりは
ありませんと語っていました。
操縦ミスでぶつかる事は
多々ありましたけども
意識的にぶつけたり
勝つために手段を選ばずやってきた事はありません。
それだけは39年間貫き通せたかなと思います。
今村豊にとってボートレースとは?
私の人生そのものです。
高校卒業してすぐに本栖に入って
訓練を受けて選手になって
60歳にはなってないが59歳を過ぎて
一般社会で言う定年の年齢を迎えているわけですから
ボートに始まってボートに終わった
と言っても過言ではないと思います。
通算成績
選手実働日数 | 39年5か月 |
出走回数 | 8207回 |
優勝回数 | 142回 |
1着本数 | 2880回 |
フライング回数 | 59回 |
出遅れ回数 | 3回 |
SG優勝回数 | 7回 |
G1優勝回数 | 48回 |
A1級継続 | 78期連続 |
最後に
引退したボートレーサーを対象とした
ボートレース殿堂の第1号として
今村豊が内定しました。
数々の記録を打ち立ててきた
今村豊が10月8日に引退しました。
おそらく100年に1度誕生するかしないかの
逸材である事は間違いないでしょう。
数々の感動や素晴らしいレースを
我々に見せてくれて
本当にありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。